
他所のパクリや後追いばかりのプラットフォーマーと違い挑戦している部分も多かったからか、色々と解決すべき課題は多かったようです。
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[SIE.Blog: 発売22周年を迎えたPlayStation®2の誕生秘話 - 当時の担当エンジニアが語るPS2®に込めた熱意と想い]
それはともかく、2022年の3/4に発売から22周年を迎えたPS2について、当時ハードの設計に携わった株SIEの二人に話を聞いたという記事ですね。
豊 禎治(ゆたか ていじ) インタラクションR&D部門 Distinguished Fellow
鳳 康宏(おおとり やすひろ) ハードウェア設計部門 メカ設計部 部長
この二人はPS2以降も最新のPS5に至るまでPS5のハード関連インタビューや動画などにも登場されていますが、豊氏はPS1から継続してPS2の開発に携わりその際はPS1との互換機能の開発を担当、鳳氏は1998年7月にSCE(当時)に転職してきて直ぐにPS2の開発に携わることになったのだそうです。
発売の1年半程前に開発が始まる頃だった、というのも今から考えると開発期間が短いものですが、チップ類の基本設計は終わっていたなら不可能ではない範囲ですかね。
PS2の頃はPSハードのメカ設計担当が3人しかいなくて苦労したという話が出ています。
――PS2はさまざまなチャレンジが詰まったハードウェアですが、どのようなハードルがありましたか?
鳳 本体の発熱量が80Wというのは、当時としては驚きの高い数値でした。「筐体の中に半田ゴテが1本入っているようなものだ」と言っていたのを覚えています。今でこそ200Wや300Wの冷却機構を作っているので80Wなんてかわいいもんですが、当時の私は熱設計の専門ではありませんでしたし、設計者の人数も限られていたため構造設計から冷却設計まで全部をやらねばならず、「どうやって冷やすんだこれ?」と途方にくれましたね。
また、ファンとヒートパイプ付きのヒートシンクを搭載しなければ絶対に冷えないことは物理法則から明らかだったのですが、当然コストや生産性にも関わってくるので、それを各所に認めてもらうのにも苦労しました。当時、ファンを搭載したコンシューマー機器はあまりなく、熱設計に関する周囲の理解もほとんどなかったため、「技術力が無いからそんなものが必要になるんだ」「どうしても付けるなら羽根のない、全く音のしないファンを開発しろ」という無茶な要求も出てきたりしましたが、資料やデータを整理し、分かりやすく表現することで、なんとか理解を得られました。
豊 私は担当していた初代PlayStationとの互換機能の開発ですね。当時、新しいゲーム機で前のゲーム機のゲームタイトルを遊ぶことはできないというのが常識でした。ゲームコンソールでの互換機能は前例がなく、果たして実現できるかどうかもわからないなか、できると信じて手探りで必死にやったことが記憶に残っています。
まず大きな問題は、初代PlayStationとPS2のCPUに互換性はなく、初代のプログラムをPS2で動かせないことでした。そこで初代のCPUをPS2に搭載できないか。できたとして、互換性を保つこと以外にも機能する方法はないのかを皆で知恵を出し合いました。 初代に比べPS2の動作周波数は格段に高速化されています。メインCPUが動作の遅いDVDやサウンドなどの周辺デバイスに作用することは、初代PlayStationのときには問題なかったのですが、高速なPS2のCPUにとっては非効率になってしまうのです。そこで「初代PlayStationのCPUをI/Oプロセッサ(*4)として周辺デバイスの面倒を見るようにしよう。そして初代のゲームを遊ぶときにはメインプロセッサに主従逆転させて初代のCPUを起動させよう」というアイデアが当時DVDドライブを担当していた技術者から発案されました。この構成により世界初のコンソールゲーム機での後方互換性が実現したのです。
(*4) 外部からデータや信号を入力したり、外部に出力したりするための回路や装置などのこと。
という事ですね、PS2のPS1互換対応についての経緯は有名なエピソードですが、メカ設計では当時としては前例の無い高消費電力のゲーム機でどう冷却するかが問題になったとか。
その熱設計に纏わる経験がPS2薄型での大幅軽量化やPS3以降のPSハードの設計にも活かされていく事になったので、無駄ではなかった訳ですけど。
鳳氏は当時に比べれば(株SIEのメカ設計)開発チームが拡大した物の、一般的な企業と比べれば小さい方ではないかとも話していますね。
この辺はソニー本体との協力関係あればこそ、という部分もあるのでしょうが。
あと豊氏が“自分が関わったゲーム機のロンチを見るのはPS2で3回目”と話していますが、この1回目って多分SFCの事なんですよね。
ソニーに1988年に入社した時点では情報処理研究所で久夛良木氏の下にいたという話なので、SFCの音源チップ(S-DSP及びS-SMP)の開発にも関わっていたのでしょうし。
互換機能といえば、自社ハードにあってPSハードに無い機能かどうかが要不要の判断基準というゲハ脳極まる任天堂の手の平がクルクル回っていた物ですが。
GC→Wii→WiiUが一応の互換性を維持していたのは単にCPUを延々と使い回していたからですし、GBA→DS→3DSについても途中でGBAスロットが消えたりしていますが任ッチでは全く互換性が無い始末。
この一貫性の無さが任天堂らしい所ですね。

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当時なくて当たり前だった互換のインパクトはすごい
後追いではここまで支持されなかったと思う