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 一体何処がそんな任侠ものみたいな事を言っていたんでしょうね。
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[4gamer: ビデオゲームの語り部たち 第8部:横井軍平氏の遺志を受け継ぎながら,新しい道を探し続ける株式会社コトの現在]

 故横井軍平氏が任天堂を辞めた後に立ち上げた株式会社コトの窪田和弘代表取締役に話を聞いた、という記事なのですが、窪田氏はNEC時代に横井氏と面識がありバーチャルボーイのチップ設計を担当した、というのですが…

 バーチャルボーイと同じ頃に,ソニーさんからも依頼がありましたが,お断りしたんです。そのゲーム機は後に『PlayStation』と呼ばれるんですけどね……(苦笑)。
 と話していたそうで。
 その後SCEはLSI Logicのチップを採用していたところから東芝との共同開発による独自チップ設計に乗り出したりするわけですが、この当時のNECではセガの仕事も受けてくれと言われたりと個人にかかる負担が大きい開発となっていたようです。

 『あの会社にチップの提供をやめるなら,うちがそれを採用するから……』みたいなことを言われたこともありました。そんなのできるわけないじゃんって。そういう鉄火場のような時代だったんですね。
 タイトルについてはこういうのがありましたね、一体どの時点での話だったのか…
 メインチップで言うとNintendo 64のMIPS VR4300がNEC名義でしたけど。

 他には横井氏が亡くなる前日にワンダースワンの設計打ち合わせで顔を合わせ、誘われたことが窪田氏がコトに入る切っ掛けになったという話も。

 ゲーム機開発関連で目新しい話題というと、ワンダースワンの開発中にタッチパネルを採用する案もあったとか。

 また、任天堂がゲームボーイを諦めかけていた時期があるというのは割と有名な話だと思いますが、

 任天堂は月間ハードウェア販売台数があるラインを下回ると販売終了を考えるそうなのですが,ポケモンのリリース前はそのラインギリギリだったと聞きました。

 という話が出ていたりとか。
 結果的にはポケモンのヒットの他、横井氏が任天堂で最後に関わったゲームボーイポケットも後押しになったようなのですが、あるラインを下回ると~ってWiiUの切り捨てっぷりを考えると今も残っていそうですね。

 他にも故山内溥氏の話題が出ていますが、

 (横井氏の葬儀では)先に密葬があって,そのあと社葬だったと思いますが,参列者がいなくなったあとも,山内さんがずっと座ったままだったのを覚えています。



 これは瀧さんから聞いた話なんですが,昔,山内さんが『パチンコみたいにアドレナリンが出て,中毒性のあるようなもんできんのか』と指令を出したそうなんです。それを横井さんが形にして生まれたのが『ゲーム&ウオッチ』だと。

 といった話も。

 にしてもこういう話題が出る連載でも、今は無きGAMESマーヤの秋谷元店長を取り上げた時には“表に出せない話が色々あった”的な事を書いていた気がしますが、どのぐらい任度されているんでしょうね、よほど洒落にならない話題でもあるのでしょうか。

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